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令和6年 慶寿会2月の催し

 

★2月 8日(第2木曜日) 慶寿会コーラス会  午後1時20分~2時30分

1階 デイケア室 歌唱指導及びピアノ伴奏 鵜飼文子先生

★2月15日(第3木曜日) フラワーデザインの会  11時~

1階 リハビリ室   講師   田鹿由美子先生

★2月17日(第3土曜日) 洋画研究会  

2階 リハビリ室    午後1時~3時

★2月22日(第4木曜日)書道教室  1時~随時

1階リハ室   講師 田村節子先生  13時~随時

㊟新聞紙・拭く物(雑巾、ペーパータオル等)御持参下さい

★2月26日(第4月曜日)楽しいパン作りの会 午後1時~随時

2階  調理室    講師  田村節子先生

 

 今年の冬は予感した通り、暖かい日が続きます。1月21日に栄公会堂で催した講演会は、予期したよりも多くの出席者に恵まれ盛会でした。我が家の来歴などを入れて失礼かと思いましたが、暖かい拍手をいただき有難うございました。家の来歴など、どうでもよいことをお話しましたが、受入れていただけたようでほっとしました。今は家の来歴など誰も気にしませんが一時代前迄は、重要でした。


よそ者が新しい地域の指導層に加わることは大変だったと思いますが、我が家は医師と云う立場から自然に地域の指導層として受け入れられて居たようです。12月20日になると祖父は水ごりしてお経「ハンニャハラミタ」をあげて邪気を拂うと半紙に向かって切断を入れると叔父の手から私達に渡され、切り目に沿って折り上げるとあらかじめ用意された門前と神棚の縄目に差し込んで飾るのです。


叔父がまだ家に居る頃は叔父の指導で一枚一枚を縄目に差し込んで門松の上に張った長い綱の縄目に差し込んで門松に仕上げるのでした。この仕事は保土ヶ谷に婿に入って居た叔父が必ずやって来て手伝うのでした。餅つきは暮れの27日に本家から婿に入った叔父さんがやって来て手伝うのが習いでした。当時は母屋の裏に二階建ての納屋があり二階が叔父の勉強部屋になっていました。


裏庭は広く、立て井戸と横井戸があり立て井戸には流しがついていました。横井戸は右に曲がって掘られていたので先が見えず、入って見たかったのですがその都度母に止められ確かめることは出来ませんでした。今はこの建物(鉄筋3階建て)造る際埋め立てたので井戸は無くなり何の証拠も残って居ません。随分深いと思って居た立井戸も横井戸も埋め立てられて消滅してしまいました。思い出を消すのはつらいことですが、これが近代化なのです。


これで鍛冶ヶ台の墓地を含めて私がすべてを変えてしまったことになります。文章など残してもどうにもなりませんが書き残すのは偲び心からです。この家は私だけの家ではなかったからです。今は裏山が公園になったので崖崩れの心配は無くなりましたが、裏山は無理すれば立ち入れるので崖の心配より防犯の方が大事になりました。


ベランダを利用して食べ物を置くとすぐ鳥、虫、蛇迄も寄って来たのでベランダの利用は休止しました。すべてが解決しました。少し不便ですが止むを得ません。

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