top of page
  • chigasaki-keijukai

令和5年 慶寿会5月の催し

 

★5月11日(第2木曜日) 慶寿会コーラス会  午後1時20分~2時30分

 1階 デイケア室 歌唱指導及びピアノ伴奏 鵜飼文子先生

★5月20日(第3土曜日) 洋画研究会  

2階 リハビリ室    午後1時~3時

★5月25日(第4木曜日) 医療懇談会 1時~10分間その後

 書道教室  1階リハ室   講師 田村節子先生  13時~随時

     ㊟新聞紙・拭く物(雑巾、ペーパータオル等)御持参下さい

★5月29日(第5月曜日)楽しいパン作りの会 午後1時~随時

2階  調理室    講師  田村節子先生


※フラワーデザインの会はお休みです

 

3月から4月初めにかけてありがたいことではあったが私の100歳の誕生祝いが続きお祝い疲れが残っています。小笹家の先祖には100歳を生きた人は居ないのでめでたいと言われればその通りなのですが、こう祝われると何か責任を背負ったようで単純に喜べないのは私の素直でない性格のせいでしょうか?「世にはばかる」という言葉がありますが、素直でない私はいよいよそうなったかと喜ぶよりは或る種の哀感が沸いて来ます。


きたない年寄りにはなりたくないと思っても無理した「カツラ」をとれば年相応の、ハゲ頭が現れます。医者ですからたくさんの100歳を看て来ましたが、私は20年も前から「カツラ」を利用し歯は総義歯ですからいつまで経っても変わらない外観を保っています。


火曜日には二階のデイサービスから入浴の声がかかり毎回体重を計りますが、大体56.5kg~57kgを堅持しています。身長164cmが158cmに縮んだので標準体重を少しオーバーしているといえるでしょうか。18歳の時身長164cm体重68kgとなったのが最高の肥満でそれ以上はない。標準体重を超さないよう維持して来たのが100歳を越す要因となったのでしょうか。標準体重の大切さがわかります。


2年前(98歳)軽度の呼吸困難を来し、栄共済病院に入院し、右心室埋め込み型ペースメーカーを装置され、以後呼吸状態は極めて良好ですが、このペースメーカーは期限付(6年間)であり既に2年経っているのであと4年で入れ換えとなりますが、それ迄生きているかどうか不明のことです。


慶寿会とのかかわりで、これも自分で決めたことですが、毎月スケジュールが決まって居り、何もない月は殆どないのですが最近は少々重荷になって来ました。然し、自分で決めたことですからやり通すしかありません。からだを使うより頭を使う仕事が大部分ですから、気力だけの問題です。

こうして毎日が過ぎて行きますが、もの書きを続けるのも証拠を残す結果になっています。


4月16日カトレア施設長の青柳君がお迎えに来たので,久し振りにカトレアホームを訪問し、丁度誕生会だったので食堂に集まった比較的軽症の入所者に挨拶しました。

例の如く、富士山をまん前に見て木々に囲まれた美しく静かな施設で余生を楽しんで下さいというお話をしましたが入所者の反応はいまいちでした。終わりに貴夫先生の所に寄って私の誕生会に集まった余分なお金を返したのですが、丁度その場で久し振りに後藤さんに会いました。私には立場上横浜よりは茅ヶ崎のほうが居心地がよいのは確かです。


スーパーでおべんとうを買って帰ると水戸から来た家内の一人息子の「パパ」が来ていました。私の好きなモンブラン等のケーキが一杯並んでいました。国家試験の終わった孫の敦也君は大学に残るのだそうです。敦也君が来ると必ず将棋をするのですが,最近は私の方が旗色が悪い場合が多くなりました。勝負はなかなかこの頃は私の「待った」の方が多くなり相手の成長を感じざるを得ません。みんな成長して私を乗り越えて行くのです。


ただ百才を越すと特別扱いは困ります。90代と変わったところは何もなく、少しもの忘れが進んだようですが大切なことは忘れません。こうしてあと何年生きるのか 考えます。今日はお花の日で見事にアレンジしたお花を見せていただきました。美しく見事な出来ばえでしたが、花の命は短く唯いっときの喜びです。然しそのいっときが私達に喜びを通して活力を与えてくれるのです。


閲覧数:20回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page