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理事長 小笹慶資

令和4年 慶寿会6月の催し

★6月 9日( 第2木曜日)

慶寿会コーラス会  午後1時~2時30分

1階 デイケア室 歌唱指導及びピアノ伴奏 鵜飼文子先生

★6月18日(第3土曜日)

慶寿会絵画の会  午後1時~3時

2階 リハビリ室   指導  吉崎道治先生 

★6月22日(第4水曜日)

フラワーデザインの会 15時30分~

1階 リハビリ室   講師   田鹿由美子先生 

★6月23日(第4木曜日)

医療懇談会 午後1時~10分間その後

書道教室  1階リハ室   講師 田村節子先生  13時~随時

  ㊟新聞紙・拭く物(雑巾、ペーパータオル等)御持参下さい

★6月27日(第4月曜日)

楽しいパン作りの会 午後1時~随時

2階  調理室    講師  田村節子先生

 蒸し暑い日が続きます。入梅が近いのでしょうか?去年の今頃は退院直後で、電動車椅子に頼って居たのですが、今年は殆ど使わないので患者さんの送迎用にまわしてしまいました。


力はつきましたが数え100歳です。先日松林ケアセンターで利用者さんと合同で白寿のお祝いをしていただき有難うございました。新しい歌まで作って戴き感動ました。私は大変な幸せ者です。似顔絵で包んだ肘枕のプレゼントも感激でした。為になることを話せと言われても数々の表彰を受けている職員の皆さんに感謝の言葉しかありませんでした。


思えば平成10年12月に松林ケアセンターの事業を茅ヶ崎市より受託し、平成11年4月よりホームヘルプ事業を開始し平成12年4月介護保険制度のスタートに伴い在宅介護支援事業が本格的にスタートしました。


その後事業の伸展と共に既に定年退職された後藤前所長の情報を元に既に老人クラブとして利用していた施設を包括支援センターあさひに、次に平和町介護サービスセンター、次にデイサービスふる里の順にラチェン通りや鉄砲通りを二人で歩き廻りました。包括支援センターくるみは前カトレア施設長の岸谷さんが見付けてくれました。


後藤さんは退職後も貴夫理事の診療所を手伝って居り医院の筋向かいの一軒家を借りて1km程先の富士山の見える丘に600坪程の畑を借りて野菜作りをしているので,同じく畑を借りている運転手の井草君とも話が合って松林訪問の際は必ず立寄ってお茶をいただいています。やりたいことは山程沸いて来ますが年には勝てず店じまいの思いばかりが浮かんで来ます。


千葉のホームの株譲渡も大分進んで来ました。月に2回訪問しますが、先月からは研修センターの風呂を沸かして貰い、井草君と鉱泉浴を始めました。入浴後肌がすべすべして快適です。4人程一緒に入れる風呂ですから快適ですが2人丈では勿体ないのです。交通費の補助金や職員の昼食を確保する為にカトレアホームの前の所有地に公益性のある収益事業を考えたのですが建設許可が得られず思いが残ります。


オアシス入所者22人のうち5名が小笹医院の患者さんでそのうち3名は最初からの入所者で既に10年を過ぎお元気です。あとのうちお1人は100歳を越え自力歩行が出来ます。私と競争だねと笑い合っています。すべては整ったので今度は花いっぱい運動を始めました。庭木の世話する職員も出来たので楽しみです。


小笹医院慶寿会の催しは絵画会を除き全開出来ました。私も絵より書の方が面白くなり田村先生のおだてに乗って11月の栄区書道展には前回の健康訓に次いで「人は人のために~・・・・」の人生訓を書くことになりました。

又、今回小岩井家文書一部コピーを同封しますが小学校の時同級生の女子に小岩井欣子さんが居て皆が妙に意識するので(美人と言う意味ではなく)変に思っていましたが、この文書により、名主と小作人の子孫という関係からだとわかりました。


又、小笹家の始祖松平肥後守容保の江戸詰右筆であった西村彦臟が武士をやめてなぜこの地を選んだかもわかったような気がします。歴史を調べるのは面白く、私にペースメーカーを装着してくれた蒲生先生の名も気になっていましたが、調べると会津藩は戦国時代より上杉・蒲生・加藤・会津松平の順に領主が代わっています。ここに私の予想通り蒲生という名前が出てきました。どうでもよいことですが予想通りでした。


先日のエコー検診で蒲生先生は近日開業されるとお聞きしました。おめでとうございます。然し私にとっては不安の材料ですが致し方ないことです。御成功を祈ります     

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